『スイス人が救った伝統的産地ボーカ』
イゾレ・エ・オレーナのパオロ氏をして『どんなバローロの造り手よりも偉大な造り手』と言わしめるのが、1960~90年前半まで北ピエモンテのボーカでワイン造りを行っていたアントニオ・チェッリ氏。ロアーニャのルカやカヴァロットのアルフィオも口を揃えて『歴史的偉大な造り手』と言います。
スイス人で当時ワインのインポーターとして度々イタリアを訪れていたクリストフ・キュンズリもチェリのボーカに魅了された1人。チェリのカンティーナに通い、直接ワインを買い付けるうちに、ワイン造りを手伝うまでになっていきました。
そして、高齢のチェリは病気がちで畑仕事が困難となっていき、それをクリストフが補助する関係がしばらく続きました。いよいよチェリが動けなくなった時、誰もがボーカというワインの消滅の時だと考えていました。しかし、チェリと家族の判断は畑とカンティーナ、そして熟成中の全てのワインを、一番の理解者であるクリストフに託すことだったのです。
『驚いたよ。地元意識の強い田舎のボーカという街で外国人の僕に全てを託してくれるなんて。チェリとチェリの家族の為にもボーカというワインを消滅させたくなかった』
『イタリアで火山岩土壌から造られる赤ワインはガッティナーラの一部とボーカ。あとはエトナだけだ』火山岩土壌はミネラルが豊富で地表にも黒く光る鉄分やマグネシウムが確認できる。この土壌はアルカリ性に傾く傾向があり、粘土質の酸性土壌とは全く異なるのです。(ランゲは酸性土壌)
チェリのワイン造りを継承しながら、クリストフの造るボーカは確実に進化を遂げている。『ワイン造りはなにも変わっていない。ただ言えるのは僕が経験をつんだということ。今では葡萄を見ればワインが想像できる』03年、04年、05年、06年と4年連続でガンベロロッソ最高評価である3ビッケーレを獲得。ボーカの造り手も、今では30社にも回復し、街の朝市も復活。人口も増え始めている。ボーカというワインだけでなく、小さな田舎町自体も復興させてしまったクリストフの進化は止まりません。
『樹齢の高まりと共に、葡萄樹は畑毎の個性をより明確に表現し始めている。将来的には畑毎の個性を感じられるように、畑毎にボトリングすることも考えている』